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ラテン語訳中原中也
「一つのメルヘン」
あるいは、さらさら考

 

口語的な文体や擬音語を巧みに利用した中也の詩は、外国語に訳しにくいものの最右翼だと思います。はっきりいって自分のラテン語なんて、羅訳が出来るレベルには程遠いのですが、まぁ、でも、訳しちゃいけないという法律があるわけでもなし。表現の自由ってやつですな。でもって訳しちゃったもんはしょうがない。ネットで公開するのみよ、ってなわけで、酔っ払った勢いで作ったのがこのファイルにござりまする。

一つのメルヘン Apologus
秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。
quadam nocte autumna in terra longinqua
erat flumen aridum glareosumque
cui sol sussurus
sussurans lucebat.
陽といつても、まるで硅石か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。
sol siliquae vel pulveribus
substantiae durissimae compar erat
itaque sonum parvum
sussurans spargebat.
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。
nunc papilio supra glaream veniens
faciebat umbram
hebetem sed definitam.
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……
et cum abiisset papilio, nescio quando,
in flumine qua fluxerat nihil
aqua sussura sussurans fluere incepit...

 

そんなことで、最初に選んだのが一つのメルヘン。よりによってこんなものをとお叱りを受けそうですが、訳しようのないものを訳すというところがまた面白いわけでして。こんな風に考えるのは自分だけではないらしく、知っている範囲でもNoriko Thunman, Paul Mackintosh&Maki Sugiyama、Ry Bevillらが英語に、Yves-Marie Alliouxがフラ語に既に訳してたりするんですな。

この詩を訳すにあたって一番頭を悩ますのが、さらさらという擬音語。3回出てきますが、最初は、「夜の太陽」を形容するのに、次に「固体の粉末のような光」の形容に、最後に水の流れの形容に使われています。このうちの前のふたつは、この詩の描く非現実的な光景を、感覚的に端的に言い表しているという点で興味深いですね。また、水が流れ出す様子をさらさらという同じ単語で表現する、すなわち、非日常的な形容から日常的な形容へと変化することにより、彼方から此方への移行を象徴的に表しているなぁんて解釈ができなくもないような気がしなくもなかったりします。

さて、では上に挙げた諸家の皆さまはどのように訳してるんでしょうか。3種類の訳を並べてみました。

Thunman(p231)

that was nothing but stone
shone with a softening, softening sun.

and so it seemed, sifting
to make a faint sound

suddenly among the river bed stones where nothing had been
water murmured, water murmured, and began to flow.

soften(柔らかくする)もsift(ふるいにかける)も、擬音語として理解される語ではないように思うのですが、前者は繰り返されていることもあり、単に意味を伝えるだけでなく、音としても目立ってきているのではないでしょうか。畳音により音象徴性が強まっているとでもいうのかな。「♪雪や来む来む」みたいに。また、さらさらのsの音を生かそうとの工夫もあったのかしれません。いっぽうのmurmurは一見いかにも擬音語っぽい感じ。でも、フラ語から入った単語なので英語で使用された場合、どれだけ擬音語としての性格が感じられるのかいまいち不明だったりしますな。

Mackintosh & Sugiyama(p88)

on which the sun - rippling,
rippling - was shining

which was why - rippling -
a faint sound arose.

where till now nothing flowed in the riverbed, water
- rippling, rippling - was flowing...

こちらでは「s」への未練はまったくないらしく、rippleで統一。さざなみが立つ様子やさざめきが生まれる様子をあらわす単語のようで。上手いな、としか言いようがないんだけど、もしかしたら、視覚的要素が強すぎるかも。さらさらっていうのは、聴覚と触覚に関わる単語。第一連は、視覚的な「光景」を表現した部分だから、そんなに気にならないけれど、第二連のさらさらは、粉末の触感をも形容しているわけで、そうなってくるとrippleという単語はちょっと外れちゃうかもしれない・・・。などと、他人の訳に文句をつけることほど、た易く、なおかつ自分が偉くなった気分にしてくれるものはないんですが。

Allioux(p76)

Sur laquelle brillaient en bruissant
Les murmures du soleil.

Aussi ses murmures
Bruissaient d'un faible bruit.

Au fond de la rivière jusqu'alors sans eau,
L'eau murmurante en murmurant coulait...

murmure-という語が全てのさらさらに共通して使われてるんですが、名詞と動詞(の現在分詞と動名詞)で用いることにより、ripplingと違ってシンタックスに変化がついてますな。また、アリューさんは意地でも直訳はしない方のようで、ここでもひねってきてます。仏語を直訳すると、

「その上に、太陽のささやきがかすかな音を立てながら輝いていた。」
「そのささやきもまた、弱い音で鳴っていた。」
「それまで水がなかった川底に、ささやく水がささやきながら流れていた・・・」

最初のさらさらは、「太陽が」ではなく、太陽の「ささやきが」光っているとしちゃう。こりゃ、共感覚っていう奴!いいっす。最高っす。言われてみればそうなんだよな、ここは。でも、第二連ではbruireという語を使ってることから、聴覚メインで触覚はいまいち感じられないかも。

あと、第一連からbrillaient,bruissant,bruissaient,faible,bruitと、br(l)が連続しているのって、もしかして内在韻ってやつでしょうか。ひぇーっ。凝ってるざんす。惜しむらくは、ぶるぶるとさらさらの語感の違いかもしれませんが、まぁね。最後のさらさらではbruireが消え、murmurerだけで表現。でもシンタックスが格好えぇ。ちなみに自分のラテン訳は、このシンタックスを参考にしてます。ラテン語としてこういう用例があるのかどうかは分かりませんが。

とはいえ、murmureというと、ラマルチーヌあたりがramureとかといかにも韻を踏んでそうな感じが。また、水がmurmurerというとmouilleという語がどうしても連想されちゃうような。murというと、ねっちりというかまったりというか、そういう方面の感じがしちゃうんじゃないかとも。ようするに「モワッ」とした印象なわけで、さらさらで表現されている月面みたいな無機質で非生物な感じとは離れちゃうかもしれません。まぁ、本当のところは日本語話者の自分に分かるはずはないんですが。

で、自分がラテン語訳をするにあたっては、murmur -urisではなく、sussuro/sussurusを使ってみました。さて、気になるのが、この単語、フランス語に入ってsusurrer(2番目のsは濁らない)になってるんですな。おまけに仏和大辞典を引くと、「[木、小川などが]さらさら音をたてる」とまで載っている。また Dauzatの語源辞典は、俗ラテン語のsusurrareを挙げ、擬音語と指摘しているし。じゃぁ、どうしてアリュ―さんは使わなかったのか。さらさらの訳語にするには、sが共通していることからも最適だと自分は思うんですが。ま、名詞形が、susurrement/susurrationしかなく、murmureに比べるとちょっと大仰になってしまうのかなとも想像してたりもするんですが、真相やいかぁに??

 

実は、この詩を読んで自分の目に浮かぶのが、ポール・デルボーが描いた夜の光景なんですな。古代ヨーロッパの建築が出てくる奴です。ここに描かれている時間が止まったというか、時間が存在しないかのような世界は、この詩の情景とどこか符合するところがあるのではないかと。また、デルボーの絵にはよく、背景にガラガラの岩山が登場するのですが、これもまた、「一つのメルヘン」の乾いた川を強く連想させてくれるようにも思います。で、岩山と古代ローマの遺跡というと思い出すのが、南仏サンレミにあるグラヌム遺跡の情景。舞台を山口の水無川じゃなくて、ここにもってきてもあんまり違和感がないようなのが、面白いところ。

訳し終わって気が付いたんですが、この詩はすべて、ローマ時代に使われていた単語で訳すことが出来ちゃうんですな。メルヘンというタイトルのもつ意味に改めて気付かされた感じです。また、主観的な感情や評価を表す単語も一切使われていない点も見逃せません。つまり、涸れ川があり、蝶のいるところの言葉であれば、時空を問わず言い表せてしまう内容というわけです。それはまた、この詩が、捨象できるものは捨象しまくって磨き上げた作品に他ならないということも表しているのかもしれませんな。

 

ネタ本一覧

Nakahara Chuya and French symbolism / Noriko Thunman. -- University of Stockholm, Institute
of Oriental Languages, Dept. of Japanese and Korean, 1983. -- (Japanological studies ; 3)
The poems of Nakahara Chuya / [Nakahara Chuya] ; translated by Paul Mackintosh and Maki Sugiyama. -- Gracewing, 1993
Poems of days past / Nakahara Chuya ; translation by Ry Beville = 在り し日の歌 / 中原中也[著
] ; ライ・ベヴェル翻訳. -- Bilingual ed. = 日英 バイリンガル版. -- The American Book Company
, 2005
Poemes / Nakahara Chuya ; traduction du japonais, postface, notes, chronologie, bibliographie par Yves-Marie Allioux ; preface par Kitagawa Toru. -- Philippe Picquier, 2005

Nouveau dictionnaire étymologique et historique / Albert Dauzat et.al -- Larousse, 1971
小学館ロベール仏和大辞典 / 大賀正喜ほか編 -- 小学館, 1988

 

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